先日のブログでも書きましたが、命令、強制では、良い文化が生まれません。
だって、それって誰も楽しくないから当然では。
もしいるとしたら、私のようなお馬鹿なリーダーくらいではないでしょうか。
私は以前、こうしたお馬鹿リーダーの代表的存在でした。
自分の能力を、鼻にかけ、総て私が正しいから、周りは私の
言うことを聞いていればいいのだという考えでした。
ほんとうに情けない人間でした。
そうした私は、裸の王様であり、誰も本音の意見を言う人はいませんでした。
しかし、本人は裸の王様ということに、もちろん気づいていませんでした。
そんな私に寄ってくる人は、私から何かを得ようとする目的の人ばかりでした。
そうした人達は、本音は言いません。おべっかの塊です。
しかし、馬鹿な私はそのおべっかを、気持ちよく感じていたものでした。
他にも、私の周りに寄ってくる別の理由のメンバーもありました。
それは、私の強制という脅しでの参加呼びかけでした。
私のもとから離れると、私の開発した商品は扱わせないというような感覚で
人を脅して集めていたのです。
強制で無理やり集めて、集められた側は、誰も幸せではありません。
自分の意思で、集まるような楽しい場所でなければいけません。
とにかく、そこに行きたくて、その人に逢いたくて、そうした組織
場所、会社にしなければいけないと思います。
リーダーの仕事は、そうした場の形成という役割もあります。
以前の私のような強制収容所を作るリーダーに、なっていけません。
また、そうした恫喝を受けて側も強制に屈しない心が大切だと思います。
ぶら下がる心、ぶら下がらせる心、どっちも幸せになりません。
自分の人生は、自分で切り開き、依存と権力の存在しない
本当の意味で楽しい場つくりに尽力ですね。
今は、少しだけそうした行動が出来るようになったかなぁーと
自己満足で思っています。でも、まだまだですね。