自分はあと

心は、コロコロ変わるから心と言いますと、五日市剛さんとかの本に書かれています。

まさしくその通りだと思います。私の場合、これに痛感する出来事が、多くあります。

私の性格は、とてもはんかんびいきであり、弱いところを応援する傾向にあります。

特に自分が工務店経営を苦労したこともあり、経営の苦しい今にも倒産しそうな工務店を

自分の会社以上に応援してしまいます。応援をすると、だいたいの工務店は

2-3年で、超優良工務店となります。こうした時、ほとんどの方は、私に感謝を

され、何があろうと、一生ついていきます。それが、どんな理不尽な指導であろうと

も私は澤田さんについていきます。澤田さんに出会わなければ倒産していました。

今あるのは澤田さんのお蔭です。と、ほとんどの方が言われます。

単純な私は、こうした言葉を鵜呑みにしてきました。だから、裏切られた時は、

逆上していました。しかし、そうした感情は、以前まではありましたが、今はなくなりました。

人間は、慣れると強いもので、最近ではこうした事態が起きても

何度も同じようなことが起きると淡々と済ませれるようになってきたのです。

一生ついていくと言い、離れて行く人も、嘘つきでもなんでもありません。

きっと、その言葉を発した時は、本気でそう思われたに違いありません。

感謝の心を言葉で発する為にそう表現することが、一番、伝わりやすかったのだと思います。

また、その時の言葉の表現が、ちょっとした間違いであったのではと思います。

間違いとは、その方が一生ついていくのは、私ではなくお金だったのではないでしょうか。

感謝も私のした行為ではなく、マイナスの経営をプラスにした結果に

感謝したのではないでしょうか。もし、私の行為に感謝をすればそれは、ちょうとやそっとのことで

は変わらないと思います。しかし、お金という結果への感謝であれば、

そこが満たされれば、心は変わっても不思議ではありません。

こうした現実を直視出来るようになってからは、以前と比較すれば、

淡々と事を済ませることが出来るようになったような気がします。

もうひとつ、この親友に比べたら、私の受けた行為なんてのは、悩むに値しないことです。

きっと、彼なんかは、恐怖、望み、感謝、懺悔等が数秒おきに

心が変わっているのではないでしょうか。この親友のように、特別な事態でなくとも、

心は、その方のもちようで、簡単に変化してしまうとても厄介な弱いものなのです。

だから、心は鍛える必要があるのです。

自分の想い通りにならなくとも、自分の立場、周りへの影響、恩義等を考慮し

周りを自分より優先に考えられる心に鍛える必要があるのではないでしょうか。

こうした己よりも他人を先に考える心を利他の心、忘己利他というのでしょうね。

自分はあと、周りがさきに考えられるのが、リーダーの心の持ち方なのでは。