余生

日本人は、いくつになってもボロボロになっても

働くとことが美徳のように言われてきました。

逆にアメリカ人なんかは、若いうちに大金を稼いで、

なるだけ早く引退して、好きなことをして余生を送るという

のがステータスと言われています。

私はといえば、どちらもしたいが本音です。

仕事も大好きですし、仕事仲間も大好きなことから

いつまでも仕事はしていたいという反面、いま直ぐ

引退して毎日ゴルフ三昧もいいなと思います。

まぁ、なるようになるということですかね。

 

 

 

 

 

 

 

人間関係

最近、度々、周りで逆切れやプッツンして、その場で

退社したと耳にしました。

私も、そうした性質の人間なので、あまり偉そうなことは

言えませんが、いろいろあると思いますが、切れてその場

の感情のみで行動するのは良くないと思います。

このような行動は、経験のない幼児とかが行う行動であり

大人が行うべきではないと思うのですが、そうした

性質の方は、その場では抑えれないものです。

私が、まさにその典型ですから、とても、よく理解出来るのです。

ただ、自分がそうだと気づいたからこそ気をつけるようになりました。

また、逆切れ、プッツンをされた場合、必ず、された側にも

言い方や態度、過去の歴史など、なにか問題があると思います。

人を怒らせる天才の私には、双方の立場も、良く分かるのです。

結論として、人様のことより、まずは己の改善です。

その為には、感謝の心をいかに多く持てるかだと思います。

だから、今日も多くに感謝、多謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終盤

自分的には、ほんの少し前に年が明けたと思えるのですが

既に、ほぼ、3カ月が経過しています。歳をとるはずです。

しかし、別にそれも嫌でもなくなりました。

歳をとるということは、誰もが今世の終わりに近づいている

ことです。昔だったら、そう思うと悲しい気分になった

ものですが、今は、全くなくなりました。

私の終焉は、いつなのかは分かりませんが、昨日よりは

確実に近づいています。来世があるかないかと言ったら

あって欲しいと思いますが、実際にはないと思ってます。

まぁ、なにが言いたいのかと言えば、毎秒、誰しもが終焉に

近づいているということです。だから、毎秒、悔いのない生き方

をしたいと思うのです。特に、残り少なくなってきた人生劇場の

終盤こそ、そう生きたいものです。

負け

あれだけ争うのが好きだった私が、今は絶対に争いはしたくないと

思うようになりました。争そったところで、なにもいいことはありません。

労力を使う上に、より腹がたつだけです。

争いが起きるのは、一般的に双方が正しいと思うことから自分の意見を

相手に認めさせようという気持ちからおきます。そこで、どちらも認めない時は

力勝負になります。昔は、そこで勝つことが、生きがいでした。

しかし、今は、こちらから謝るようにしています。

強引に自分の我を通したところで、虚しくなるだけということに

気づけたのです。相手と争うような雰囲気にしたのも、どこかしら

自分に原因があるはずです。そこに気づけば謝るしかありません。

もし、どうしても決着がつかなければ、感情的にならないで

法的措置を取ればいいと思います。

怒らない人生、負けるが勝ちの人生、なかなかいいものです。

労力は、もっと良いことに使いたいものです。

今後のテーマは、いかにして負けるかです。

当たり前

毎日、生活をしていく上で、本当は有難い事が、当たり前に

なってしまっていることが多々あります。

例えば健康であったり、給料であったりとか、仲間であったり

ないと困るものが、あって当たり前になってしまっています。

当たり前になってしまうと感謝もなくなり、暴飲暴食したり

仕事をサボったり、仲間に思いやりのない行動をしてしまいます。

そうした行動をしていると、知らないうちに当たり前のものが

無くなることがあります。

あって当たり前のものは、無くして初めて大事だったことに気づくものです。

感謝が足りない傲慢な私は、その典型的な人間でしょうね。