にんげんは、自分が調子の良い時の方が、本質の優しさを
忘れがちではないでしょうか。
いや、にんげんというより私と言ったほうが正しいかもしれません。
親父が、自殺した2年前から1年ほどは、他の方のこころの痛みも
自分が病んでいただけに、手にとるように分かる気がしたものです。
しかし、時が経つにつれ、そうした自分のこころの病みが
うすくなるにつれ、人様のこころの痛みも同じようにわからなくなった
ように感じます。それとも、あまりにもつらいけいけんをしたことで
時が経つにつれこころが、鉄なのか氷なのか上手く表現出来ませんが
そうなってしまったのかもしれません。
ということは、冷静に考えれば、ひと様の痛みが分かったのではなく
ただ単に自分が寂しかったから同じように見えただけなのかもしれません。
ということは、私はそうしたこころに欠陥があるのだと思います。
だから、私のようなにんげんは、ビジネスを通じてしか人様に
良い事ができないのでしょうね。
それでも、にんげん力の低い私には、それをするしか術がないのでしょうね。
仕事という力を借りてユーザー、社員、協力業者という人さまを幸せにすることや
仕事で集めたお金を利用してボランティア等をやるしかないのです。
仕事という権力と金に頼るしかできない、なんとも小ぽけなにんげんですが
それしかない私にはそれをするしかないのでしょうね。