誰かが犠牲になる組織はいらないですね。

『神様が宿る家』に携わるメンバーには、基本的に皆平等です。

組織のありがちな一部の幹部が、下を上から目線することはありません。

将軍様の私も、ここでは、皆の意見を吸い上げて様々なことを

決定していきます。技術的なことは、私ではなく、技術委員会で

決められます。ここでは、独裁はありません。

一人の権力者を祭りあげる文化はありません。

また、権力者が、組織を利用して金儲けをする文化も

ありません。人は、権力をふりかざして、地位も名誉も

お金の総てを自分のもとに集めたがるものです。

また、そのおこぼれを頂戴しようとして、おべっか使いの

人間が集まり、幹部的な立場を形成するという傾向があります。

数千年も前から、こうした見苦しいことを繰り返してきたのにも

かかわらず現代でも、多くの集団で見かけられます。

私も以前は、その典型的な存在でした。

しかし、もう二度と、そこには帰りたくありません。

人として、あの過ちはおかしたくありません。

いつまでも、今の心を忘れないようにしなければの

想いです。

もし、私がそうだと感じる時は、私のもとを離れるのが

賢明です。歴史を振り返れば分かります。

そうした権力者には、最後には悲しい終焉が待っています。

また、そこにぶら下がった人間で幸せになった人は皆無なのでは。

押さえつけ、脅し、おべっか、ぶら下がりのない皆参加型の

良い組織作りを、皆で成し遂げようではありませんか。

誰かが犠牲になる組織は、もうたくさんなのでは!