自由とは責任!

一昨日、この大ボラ吹き営業のこやつから連絡があり、バイオマスの市の認可も

問題なしで、土地が決まったとの連絡がありました。

土地問題で、難攻している私は、焦りました。

だって、来年の3月までに売電契約すれば、売電価格も高額なことから

年5千万の発電なのです。4年で、投資回収出来るのです。

そんなことで、焦っている元ヤンの澤田です。

 さて今日は、この美女のお話でも。

先日、テレビで、西川史子さんの母親が作った家の家訓が、紹介されてました。

良い悪いは別として,西川史子さんの人間像形成に大きく影響しているように

私には感じました。では、ここで西川家家訓を列記してみます。

1、集合写真は必ず真ん中で写れ

2、使えるコネは、使えるだけ利用せよ

3、学校の先生にエコひいきされる人間になる

4、人の悪口は、家でおもいっきり言え、ただし外では絶対に言わず、社交的になれ

5、勉強さえできればいくらでもお金は使ってよい

6、体育では、体力は温存して全力は出すな

7、図工や家庭科の提出物はプロに頼め

子供にこの教育です。凄い親です。きっと正直な方なんでしょうね。

西川さんのお母さんは、インタビューでは、「女性として一人で生きて行けるようにしたかった、

それには、医者にするしかないと思った。どうせ、大人になって知ることなので、子供の時に知って

おいたほうがいいと思った」というようなことを、言っておられました。

私的には、こうした教えは大賛成ですね。

ただ、澤田家には一切教えはありませんが。

総てご自由にという方針です。結婚したければすればいいし、したくなければしなければいいし、

勉強したければすればいいし、したくなければしなければいいし、

どんな生き方をしようが、総ては自分の人生です。

また、総ての考えや行動は、何かしらの形で自分に帰ってきます。

家訓がないのは、家族であれ思想を決めつけることは、したいとは思わないからです。

ただ、郷に入れば郷に従えという諺があるように、何かを目指す集団に自分の意思で属した場合

は別です。目的を達成する為に最低限、必要な思想、行動、ベクトルは揃えなければいけないと

思います。それも出来ないのは、その集団をやめるという自由な選択をすればいいのです。

というように、皆、どの立場であろうが、一般的に総ての出来事は自分で決めているのです。

自由になればなるほど、責任というものが、ついてきます。

自由な世の中に生きている私達は、責任ある行動をしなければいけないと私は思います。

神宿を扱う我々の責任は、なんなのかを各自で自覚した行動をとって頂きたいものです。

 

 

 

神宿認定証 

先日の会議で、「神様が宿る家」の認定について質問がありました。

それは、ある業者が写真を撮り忘れた、完成保証に入っていなかったけど

認定してもらえますか。写真は撮り忘れたけどやるべきことはやっています。

神様が宿る家の認定ルールは、昨年の4月に決定したことであり、

その現場は以前の契約だからという理由を言われました。

結果、私の出した答えはNOでした。神宿の認定ルール設定は、昨年ですが、

完成保証加入は3年ほど前に全棟加盟というルールがあったからです。

また、写真を撮り忘れるなどは、もってのほかです。

今後も、そうしたミス等も出てくるとは思いますが、

一切、ルール以外のことは受け入れません。

それが原因で裁判になろうが、家を解体することになろうが、

私は、第3社としての立場で、公平に任務を全うする義務があります。

会員の皆さんも、心して神宿の家造りに励んでください。

我々は1ミリの嘘もない家造りである

「神様が宿る家」を造っているのですから!

あえて名前は言いませんが、そちらさんも こちらさんも気を引き締めてくださいな。

史上最低

この人の口癖に、「花には蝶、ウンコには蠅」という言葉があります。

その言葉を自分に置き換えてみると、まさにその通りでした。

ウンコの私には、蠅がビッシリ集まってきました。

ビッグマウスの私の周りには、赤塚さんに笠井さんという能書きたれ。

恫喝的で、威張り口調の私には、憎まれ口の安藤さん。

大風呂敷の私には、細川という盛り盛りトーク男が。

いい加減な私には、超KYの長谷川が。

オーバートークの私には、口だけセールスの和波が。

大天狗の私には、子天狗の立田。

人いびりの大好きな私には、火に油を注ぐ船田が。

争い大好きな私には、酒呑むと大虎の大暴れの平塚が。

まさに、ウンコに蠅です。なかには、蠅でもないのに、ウンコの私によってくる生物もいます。

アズ、小田原、村岡、太田さん、このメンバーは、私との共通項がないように感じましたが、

みんな、私と同じようにお金好きでした。やっぱ、君らも蠅じゃん。

人は、自分の鏡。類は類を呼ぶ。とはよく言ったもんです。

きっと、史上最低最悪の集団ですな。シャバにあったら迷惑なこの集団と似てるのですから、

たびたび、世の中でバッシングされのも分かる気がします。

世の中からは最低と思われても、最も低いということは落ちるところないから

安心なのです。ということは、最低とは、安心ということです。

メデタシ、メデタシ!

 

体罰 

柔道会や桜宮高校での体罰が、世論を騒がせています。

これ、なかなか難しい問題です。

我々の学生時代では、当たり前のことでした。

私も、たくさんの体罰を受けてきましたが、もし、若い時にこの経験をしていなければ

と思うとぞっとします。生まれた家は、私が中学までは大工の丁稚制度があり、

当然ながら今の家庭にはない厳しさがありました。

中学、高校の時の野球部では、もちろん、毎日数十発は、先輩だけでなく

監督、コーチ、部長という指導者からも殴られていました。

先輩が黒と言えば白でも黒でしたし、昨日、黒の物が今日は白になっており

昨日と同じ答えをするとボコボコでした。とにかく、理不尽だったのです。

また、高校卒業して大学で野球部に入ったのですが、

そのレベルでは通用せずに、なぜか大学生なのにテキ屋さんをしていました。

このテキ屋さんも、マジ、厳しかったですね。

なんせ、私が入ったそこは、人を痛めつけるのが専門の職業の方が、経営しておられましたので、

理不尽の塊のようなものでした。ある時、焼きそば用のキャベツを洗っていると

「バカ野郎、何、もたもたしてんだ。ヤ〇ザが、キレイ好きでどうすんだ。」で、ボコボコ。

雨降りで客が来ずに売上が少ないと、「テメーの根性がねぇから雨に降られるんだ。

雨が降ろうが、槍が降ろうが仕入れたもん、全部さばくまで帰ってくんな」で、ボコボコ。

他にも、ここには書けないことがいっぱいありましたね。

でも、私は、なんか、こういうの大好きでした。

矢沢の永ちゃんじゃないけど、俺ってこういう凄いことやってるからビッグになるんだと

いつも思ってたから、ニヤニヤしてると、「人が、怒ってるのに歯見せるな。なめとんのか」

で、ボコボコ。今から思えば、本当に懐かしいですね。でも、もうやりたくないですけど。

ただ、一般では経験出来ないことを、経験したことで、

我がままな私ですが、かなり緩和されたかと思います。

だから、私には体罰が非常に役に立ってます。

まぁー、うちの場合、この人が見られた映画の主人公のような親父でしたから、

体罰を受けても、蚊に刺されたくらいの感じでしたから、

私の感じ方と他の方は違うので参考にはなりませんが、

私にとっては、とても必要なことでした。まぁ、とても難しい問題だと思いますが。

体罰うんねんよりも、叱る側に愛があるかないかが、大事なことだと思います。

一番、必要なのは、やはり心ですね。

そうそう結論としては、体罰はダメということで。

 

 

やっぱ好きやねん!

住環境や住まいネットの勉強会では、全国の仲間が集合するので、

150人ほどの集会になってしまいます。以前、まだ小規模のころは、

全員で懇親会をしていたのですが、流石に、この大人数になると

収容できる場所が限られるため、最近、懇親会は開かれてません。

私も、最近は静かに呑みたいので、5-6人の仲間と約束をして

居酒屋などに隠密行動をするのですが、いつでも、どこでも数分もすると20人ほどの人数に

なってしまいます。なんか、我々の仲間は、鼻が聞くのか、

私の知らないうちに大所帯となってしまいます。

この前も、皆、なぜ一緒に仕事をしているのかという話になり、

皆、「やっぱ好きやねん」と、あっちこっちで声があがってました。

私も同感です。「やっぱ好きやねん!」

相手側の気持ち

この彼は、随分、前に言ったことをよく覚えていてくれたものです。

ありがたいことです。この気持ちは、どんなに時代が変化しようが、

人として、商人として必要なことなのではないでしょうか。

常に相手側の気持ちで物事を考えることは、大事なことだと思います。

今では、こんな偉そうに言っていますが、以前の現役時代の私は、

一切、ユーザー寄りの思考はありませんでした。常に自分よがりの思考だったのです。

しかし、偶然にも開発した工法が、ユーザー寄りだったことから、公然と

次のようなことを、しゃあしゃあと語っていたのです。

ダブル断熱は、ランニングコストも抑えられ、劣化も少なく、

家計に優しい上に健康にも良いことから、施工が面倒くさいという業者側の都合よりも

ユーザーの幸せを考えるべきだ。または、地球環境にも、求められている。

まさにユーザーの為であり、人類社会が求めているから、皆が望んだから世に出してやったという

ような発言をしていたのです。まったくもっておめでたい人間でした。

確かに、世の中からは、必要とされている商品でしたが、当時はそんなことより、

お金儲けの為にやっていました。そうした商品を出せば儲かると思ったから開発したのです。

また、自分の開発した商品を選ばない、認めないのは、おかしな人間だと

言うようなことを、平然と話していたものです。

もし、私が真にユーザー寄りの考えがあれば、商品開発以外のことでも

努力したでしょうし、間違っても、市場が望んでいるから開発してやったという

傲慢な言葉は、発しなかったと思います。

きっと、そうした言葉は、自分の強欲な気落ちを、周りに悟られないように

発していたのでしょうね。

ボランティア等であればまだしも、市場からお金を頂く商売をやりながら、自分の能力を

自慢して、、欲を見破られないような発言をして金を儲けをしていたのです。

本当に情けない人間性です。

そんな、馬鹿な自分自身に気付いたからこそ、若い人には失敗してほしくないので

自分が出来ていなかったことですが、偉そうにアドバイスしてしまうのです。

今後の人生、自分勝手の塊のような私ですが、常に相手側の気持ちを考えた行動を

したいものです。本物の利他の心を持ちたいものです。

 

死二方用意!

「死二方用意」 この言葉は、以前大ヒットした「男たちの大和」という映画で、

片道のの燃料しかつまないで、決して勝ち目のない戦に出かけた戦士の言葉です。

20歳そこそこの若者が、犬死にと分かっていたからこそ、

最後くらいは、恰好よく生きたいと心に誓った言葉です。

今の私も、これほどの覚悟はありませんが、自分なりの小ちゃな死に方用意の心

で、日々を過ごしているつもりです。

私の場合、健康体ですし特攻するわけでもないので、今すぐ死ぬという意味ではありませんが。

人生50年近くを生きてきたのですが、あまりにも、自分勝手に生きた

醜い過去だからこそ、残りの人生くらいは世の為、人の為になる生き方をとの想いからです。

また、いつ死んでも悔いのないように、美しく生きたいとの想いからです。

誰でも、人から美しい生き方をしていると見られたいのではないでしょうか。

私は、最近、強く想うようになったのです。

ただ、口では言えても、、まだまだ全然出来ていません。

いつも、自分の情けない我が出てしまいます。

人として生まれてきたからには、世の中に迷惑をかけないで

少しでも為になりたいのですが、精神的に未熟な私は、

くだらないことで戦ってしまったり、自分が人の為に少しでも行動すると

威張ったりしてしまいます。いつまでたっても、根が腐りきっているからなのか

ほど遠いのが現状です。

「死に方、用意」 難しいものです。

 

奇跡のリンゴ

かなり前に出版された「奇跡のリンゴ」という書籍を、ある方から頂きました。

今回も珍しく完読しました。めちゃ感動しました。

今夏には、映画化されるようです。

NHKでも紹介されたこの奇跡のりんごとは、

農薬を使用しなければ絶対に不可能とされている

リンゴを世界で初めて無農薬栽培に成功したのです。

この本を読むと我々の0宣言なんて当たり前以下に感じます。

また、無農薬栽培を成功された木村さんの生き方、人間性には

頭を垂れすぎても足らないほど凄すぎます。

世界初のことを成し遂げたのに、一切のおごりは感じません。

生活も贅沢のぜの字もないようです。

リンゴの価格からも、木村さんの人柄がにじみでておられます。

とにかく一般では、手に入らない人気殺到のりんごでも、

価格は一般のりんごと同じくらいの値段設定です。

これは、木村さんが日本中の多くの人に、このりんごを

食べてほしいとの思いからのようです。

私もこの考えには、大賛成です。原価もそれほどかかっていない

のに、技術があるから高くてあたりまえという考えは、どうも

私にはしっくりきません。お金がほしければ企業努力をして

大量生産なり、売る方法を考える企業努力をすればいいと

庶民派の私は思ってしまいます。

また、木村さんは世界中の学者からも、彼の知識は重んじられて

いるようですが、木村さんは、私は、学者でなく百姓だと自ら

今では差別用語のような言葉を、堂々と言われています。

とかく、この分野では、江戸時代の士農工商のように、実際の待遇等は

そうでなくとも、言葉だけの地位でごまかし、上の立場の方が、

農民のコンプレックスを上手く利用して益を得るということが、行われてきました。

しかし、この人には、そうしたコンプレックスがかんじられません。

形のとらわれない生き方格好いいですね。

この本を読んで世界で初めて無農薬リンゴ栽培が、

成功したこと、その功績が勝手に広まったのもうなずける気がします。

ニュートンよりもライト兄弟よりも誰よりも凄いことをやり遂げた、

不可能を可能にした男という本の見出しにも納得出来ました。

いやぁ、世の中には凄い人がいるものです。

自分のちっぽけさが、よーく分かった本でもありました。

なぜか、自分の小っぽさが分かっても、とてもすがすがしい気持ちです。

それほどに、素晴らしい人間性を感じられた本でした。

雪解け後の木村さんとの対談が、とても楽しみです。

良い競争が良い商品を生む!

「神様が宿る家」が、世の中で公認されてきたのか、ユーザーばかりでなく

いろんな業者さんからオファーがあります。

先日なんて、まるで生体エネルギーそのものではないかというような

業者さんから、オファーされました。昨年は、偽ダブル断熱業者からの

営業もあったほどです。

私は、現在、材料販売は一切していませんが、

「神様の宿る家」を考案したことから、資材を決定する役割を担っています。

我々の組織は、とても良い分業制があります。

資材を直接に取り扱う人は、利益が絡むことから、資材を決定する権限はありません。

私のように、ある意味、第3者だと公平に判断出来ると自分では思っています。

こうすることで、既得権益の絡まない正しい商品を消費者に提供出来ると

これもまた自分では思っています。

今回の商品も、なかなか素晴らしい商品でしたので第3者的見地から、

資材そのもの能力、資材と価格のバランス、メーカー側の顧客満足的なサービス等を、

総合的に考慮して採用の有無を考えたいと思います。

どれだけ、その商品のクォリティーが優れていても、それに見合うサービス、プライスが

ともなっていなければ、ユーザーにとって真の良い商品とはいえないのではないでしょうか。

例えば、飲食業で、間違いなく体に良い食材を扱い、味が良くとも、

金額がベラボーに高価であったり、または、お店側がこんなに良いものを食べさせてやってるから

有難く思えという態度だったら、そのお店は繁盛店になるでしょうか。

私だったら、2度と行きたくないお店でしょうね。

しかし、そうしたことをお店側は、気付かないうちにやってしまうところが、

多々あるのが現実です。では、何故、小学生でも分かりそうなことを

大の大人がいとも簡単にやってしまうのでしょう。

第一に考えられることは、ユーザー側の気持ちになっていないことではないでしょうか。

一言で言えば、感謝がない人が経営しているからではないでしょうか。

また、こうした現象は、競争のない半官半民的な電力会社のような

国をバックに持つ、競争のないところに多いように思います。

いつの時代でも、良い商品が出来るのは競争があったからです。

良い競争が、良い商品を生んできたのです。

また、マンネリ化、既得権に守られたビジネスは、消費者側だけでなく

業者側にも、あまり良いことではありません。

既得権益があることで、業者側が傲慢になり、あぐらをかき、技術、価格、サービス等の

どこかの部分が欠落してしまい、その企業自体が、存続しなくなる可能性があるからです。

例え存続したとしても、世の中から真の敬いはうけないのではないでしょうか。

以前、私が開発したトリプル断熱であれ、これも例外ではありません。

私が、開発したといえども、他に素晴らしい商品があればそれを使用せざるにはいけません。

開発当時は、その資材を販売していましたが、今は、販売にも材料開発にも携わっていません。

ただし、相談があればアドバイスは喜んでしますし、やっているのが現状です。

しかし、アドバイスはすれども、私の仕事は、ユーザーにとって為になる商品を世の中に伝導する

ことなので、どの商品であれ公平な視点から見るように心がけています。

しかし、そうはいえども産みの親ですから、可愛くないと言えば嘘になります。

出来ることならば、「神様が宿る家」には、この工法が、いつまでも使用されることを望みます。

そうであるためには、常に供給側がユーザーの気持ちになり、

日々成長、日々精進、日々革新、日々競争することだと思います。

今に甘んじることなく、謙虚な心で挑戦し続けることだと思います。

 

読書

最近、以前では考えられないほど読書をするようになりました、

昨年までは、年に2-3冊ほどしか読まなかったのが、

今年はすでに5冊くらいは、読んだと思います。

一般的には、少ないかもしれませんが、私にとっては奇跡的なことなのです。

小学生の頃から読書嫌いな私が、この年になって読書をするようになったのは、

我ながら世界七不思議的レベルです。

別段、読書するのには、特別な意味や目的はないのですが、

なぜか、本を読んでしまいます。

また、不思議と多くの方が、私に本をめぐんで下さいます。

これは、あまりににも教養がない私に神様が仕向けてくださってるいのかもしれません。

たぶん、このスピリチュアル好きなお猿なら、そこには意味あるに違いないと

まずは理由づけから入るでしょうね。

では、私もここで同じ猿人として見習うとしますか・

まず第一に漢字が読めません。諺とかも知りません。

歴史も知りません。なんせ、NHKの大河ドラマをみるまでは、

坂本竜馬は新撰組だと思っていたくらいです。新撰組も数年前のスマップの香取信吾

が主役で出たドラマで知ったくらいです。

あと、英語も全くです。ポジティブ、ネガティブという言葉は、知っていましたが、言葉の意味は

3年ほど前に知ったくらいです。キムタクのドラマで、メイビーという言葉も

覚えました。こう列記してみると、俺ってほんまにアホですな。

よくこの知識で、執筆したり講演をしているもんです。

学歴がないだけではなく、本当に脳足りんです。

また、教養だけでなく、一般常識もかなり欠落しています。

常識のなさから、かなり多くの方の心を傷つけてきました。

また、常識のなさから、憤慨させたことも、天文学的にあります。

ほんとに、ロクな人生を送ってません。

こんなことから、無条件で読書が必要なんでしょうね。