人を信じるということ

今、私のオフィースには、多数の会社の社員が仕事をしています。
つまり、私の会社の社員でない人(実は一人だけいます)ばかりが、私のオフィースで仕事をしています。
けど、ほとんどが以前、私が売却した会社の社員です。
その人達が、また、私を頼ってくれたので、勤務先を紹介させてもらいました。
その勤務先のオフィースは名古屋市が多く、私の元社員たちは岐阜なので通うことはできません。
私のオフィースでも、良いという条件で就職を承諾したもらいました。
ひとつのオフィースで、全然、関係のない会社の社員が働いているのは、
普通では考えれませんが、とても上手くいっています。
そこには、上司も部下もありません。
管理する人もいません。
出社時間も退社時間も休みもその日の行動もすべて、その人達が決めます。
私も月に数時間ほどしか、そこに出社しません。
以前のように社員の売り上げを搾取しなくともよい立場です。
ノルマで脅す必要もありません。ミーティングですらありません。
そうした放任主義でも、どの会社も上手くいっています。
そこに勤務する人も全員が、誰もサボる行動もしません。
みんな、自立しているのです。
誰の責任にもしないで、総ての行動は自分の責任という考えで行動しているように見えます。
とても、理想的な集まりです。
彼女たちが勤務する会社の経営者は、私の仲間ばかりです。
誰一人として、こうした遠隔地勤務に対して不安、不満はありません。
皆、私の元社員を信じてくれています。人を信じるっていいことです。
世の中のリーダーは、不安からか、いつも自分の目の届くところに社員を置きたがります。
また、ミーティングや訓話で、もっとものように脅します。
そのくせ自分のことは、さも、すごい人間のように洗脳します。
そうしたリーダーにでも、自分をもっていない人間、そのリーダーに気にいられお金や権力がほしい人間は
洗脳されるケースが多々あります。
世の中、経営者やリーダーが立派という考え方になりがちです。
朝礼等、人前で立派なことを言える立場の人間は有利です。
しかし、そんか説法よりも実際の常日頃の行動のほうが大事だと私は思います。
私の元部下や彼女たちの今の経営者は、お互いを認め合い信用という形で成り立っています。
私は、こうした日常の実際の行動から人を信じることの差晴らしを学ばさせてもらってます。
こうした環境に身を置いていることの幸せを毎日、肌で体感させてもらってます。
なんか、理想の組織の在り方だと思います。
これもすべてが、人として皆が認め合い、信じあっているから存在しているのでしょうね。
そこには、特別な存在は必要ありません。
名誉、権力、お金、特別な技術を持つ権力者は、いなくてもいいのです。
それよりも、心の部分を大切にする人の集団であれば、
どこよりも立派な組織として存在していくと思います。
人を信じることっていいことですね。素晴らしいことだと思います。
つい、権力や財力に走りやすい私には、とても素晴らしい教育の場です。
本当に感謝です。